2015年6月12日金曜日
高齢者虐待のつらいところ
高齢者虐待の現場で、虐待を受けた人や虐待をした人から直接お話を伺うこともあれば、対応している人から間接的に伺うこともあります。
高齢者虐待防止法が施行された平成18年からずっといろいろな人からたっくさんのお話をいただきました。
高齢者虐待の一番つらいところ、というか、最も後々まで引きずってしまうところというのが、「自分の否定」や「自分の価値を低いと感じてしまうこと」だと思っています。
虐待をした人も、受けた人も、「生きていてもいいことない。」「自分がいなくても誰も困らない。」という思考になっています。
それも、とっても強固に。
それはそうですよね。
虐待を受けた人は、殴られたり、言葉や態度で貶められたり、食事や清潔も十分に提供されなかったり。日常的に怖い思いをして強いストレスにさらされています。
自分の生きている価値を殴られながら見いだすのは相当困難です。存在そのものを否定されますので、生きていることが罪であるような気分にもなります。
そして、その期間が長引けば、いつしか仕方なく受け入れていき、「自分は何も出来ない。誰からも必要とされない。殴られても仕方ない。」 と心の力を失っていきます。パワレスの状態です。
虐待した人は、ほとんど100%自己嫌悪の中で虐待をしています。どうにもならない行き場のない怒りが、身近にいる弱くなった相手に向かっています。
往々にして、身近にいる弱った相手は、かつて自分を何らかの形で苦しめてきた相手である場合が多いものです。
とは言え、憎い相手だとしても、かつては愛情を感じたり感謝している場合も多いのです。
その狭間で、「どうして虐待をしてしまうのか。自分は最低だ。」と自分を責めながら虐待しています。
高齢者虐待は、自己否定感情の渦巻きの中にあるのです。
人にそしられ、裏切られ、傷つけられ・・・そんな日々が続く内に、どんどん自己否定感情にとらわれてしまいます。
自己否定感情を和らげるのは、人の肯定感情だと思います。
虐待を受けた人のことも、した人のことも、肯定するのが私たちの役目だと思っています。
私たちが、どんな時でも肯定し続けることで、ご本人たちが「もう一度、自分で生きてみよう。」と前を向くきっかけになるんだと思います。
肯定し続けることは、書くほど簡単ではありません。時には、肯定出来ないことも出てくるでしょう。それでも、行為は否定しても、全人的には肯定したい。
時間もかかります。
それでも、関わる全ての人が肯定し続けることが大事なんだと思っています。
高齢者虐待だけでなく、人間関係全般に言えることでしたね。
「生きていていい。」「幸せになっていい。」「どうでもよくないんだよ。」
私たちにも染みいる言葉です。
それでは、また^^
一般社団法人 社会福祉士事務所にじみる
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